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しずおかグリーンツーリズム研究所
大魔神「Q」の旅や思いをつづるコラム
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五條市「かげろう座」5.29
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 蕎麦打ちの師匠の松本さんが書かれた文です。

私は2年前に五條市にことを書いたので、今回はお休みです。
メダカと文中に出てくるのは、「メダカの学校」新聞に掲載する
原稿だからです。「メダカの学校」は3の倍数月の第1金曜日18時から
開校する異業種・異地域・異世代交流会のことです。もう12年間
続いています。



(なんでもあり農園小作人の松本芳弘著)

五月の末に、深谷、中川、溝口メダカに、武史メダカ御夫妻と、
奈良県五條市に行って来た。武史メダカ以外は、一昨年の「かげ
ろう座」以来、二度目である。武史メダカは、今年二月に開かれ
た「全国地域づくり団体研修交流会イン奈良県五条市」ではじめ
て五條市を訪れているが、「どうしても「かげろう座」のときに
もう一度訪ねたい。」と、お誘いがあった。「どうせ行くなら・
・・」と、例によっていつものメンバーで蕎麦打ち道具一式を積
み込んでの遠足となったのである。


 「かげろう座」とは、五條市で一年に一日だけ開かれる大フリ
ーマーケット大会のことである。五條市は、伊勢街道・西熊野街
道・紀州街道などの五つの街道が交差し、かつては吉野川を行き
交う水運の中継地としても栄えた交易の町である。その古い町並
みが残る街道いっぱいに、平成五年から毎年開かれ、年々盛大に
なってきている。今年は約四八〇店が出店し、五万人以上が訪れ
ている。

 その名前の由来である「かげろう」(蜻蛉)は昆虫の仲間で、
成虫の寿命は数時間から長くても一週間で、短命で「はかないも
の」の例えにされている。「陽炎」(かげろう)のゆらめきを思わ
せる飛び方をするところからその名が付いたといわれている。
「かげろう」には、「五條蜻蛉」と名付けられ五條市の吉野川近
辺にしか生息しない種類がいるそうである。こうした「かげろう」
のように一年に一度、一日だけ開かれるこの催しも、「かげろう
座」と呼ばれている。また、「かげろう」は、トンボの古名
「蜻蛉」でもあり、常に前向きに飛び、「かげろう」は、「陽炎」
でもあり、大気や地面が熱せられて起こる現象で、常に前向きの
姿勢で熱い心をもって取り組んでいくという心意気も、その名前
に込められているようである。

 その「かげろう座」を運営している五條市の元気集団「新町塾」
の皆さんと、スタッフだけの前夜祭として、古い町並みの真ん中
の古い町屋を再生した「まちなみ伝承館」で蕎麦を肴に交流会は
開いた。翌日に大イベントを控えながら、二次会まで付き合って
くれて、お開きになったのは、十一時過ぎであった。


翌日は、お目当ての「かげろう座」見物をたっぷりとして来た。
「新町塾」など五條地域のまちづくりで活躍されている林業家の
櫻本さんや歯科医の釜田さんがフリーマーケットを案内してくれ
た。医者の御主人が開業のため奈良市に引っ越された大沼さんは、
医院のスタッフとともに泊りがけで来て、付き合ってくれた。


昼頃になると、人込みをかき分けながら前に進むといった状態の
中で、骨董屋に足を止めて値踏みをしたり、古道具屋では子供の
頃の暮らしを思い出したりしながら歩いた。途中では、巧みな口
上に乗せられて「唐辛子」を買ったり、いくつかの街角コンサー
トに耳を傾けた。

こうして、五條市の皆さんと気の置けない6匹のメダカのお陰で、
単なる観光旅行では味わえない旅の面白さを、わずか一日だけの
「かげろう座歩き」で味わうことができた。

 奈良県五條市までは少し遠過ぎるが、かつて行ったように、近
くの人や催しを訪ねる「メダカの学校の遠足」にまた行きましょ
う。私たちの三遠南信地域と周辺にも、何度も訪ねたくなるおも
しろ人間や病み付きになる秘密の場所がいっぱいあります。
暑さや寒さに負けずに出かけましょう。

以上 松本芳廣著

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伊豆の旅(17.7/2,3)その4
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※写真は初島小中学校の体育館


初島は熱海市沖合いにあり、「相模湾の真珠」とも呼ばれる周囲約4km、面積44ヘクタールの小島である。

江戸時代(1830年)から世帯数は41世帯と決められ、長男は家を継ぎ、
次男以降は島から出なければならない。男がいなければ入り婿をとり、
世帯数を守るという風習が続いている。
この41世帯は民宿か観光飲食店、加えて漁業で生業を立てている。
このことを、職場に熱海市から出向してきている八木さんから教え
られていた。


 曇りがちな朝だが、今日の初島行きはどうなるんだろう?錬堂さん
が船の世話をしてくれる人と連絡をとっていた。風がなく雨も降り
出しそうだから、ヨットではなく漁船で行こうということで、残念
ながらお洒落なクルージングではなくなった。


漁船にしてはオレンジ色に塗られた派手な船体で、しかも長い。
我ら5人で一隻ではもったいない大きさだった。船首にいたら船頭さんが
後ろへと言う。港から外に出たとたん波を越え上下にかなり揺れる。
確かに前では立っていることができない。でも後ろじゃ面白くないと、
椅子が備え付けられている屋根に昇ってみた。海を360度見渡すことが
でき快適快適、目指す初島が間もなく見えてきた。


港に船を寄せるその時、停泊しているクルーザーの右舷に当たった。
艇のそばにクルーがいて、海の素人我ら3人はドキッとしたが、船頭も
錬堂さんも「へこむような箇所ではない」といっこうに構わない。


島には今年初島小中学校長として赴任された後藤さんが待っていてくれた。

島を案内してくれるのかと思いきや、まずは学校へ。

 木造でログハウス風のその校舎に入ると中央階段ホール、その先は舞台があって体育館になっている。小学校の教室は1階で2階には中学校の教室と音楽室や理科室の特別教室がある。小学生16名、中学生5名、教職員12名の計33名が一つの家族のように学校生活を送っている。



住民も、そして先生にとっても、ここには濃密過ぎる人間関係がある。
入ってくる嫁も婿もこりゃ大変だ。そんな話も次来る時には聞いてみたい。

(つづく)

伊豆の旅(17.7/2,3)その3
伊豆の旅3



錬堂さんと約束の時刻が迫ってきているが、
せっかくここまで来て伊東の温泉に浸からない手はないと、
近くの東海館に向かった。

昭和初期の建築様式をそのまま残す木造3階建の温泉旅館が、
平成9年に廃館後、伊東市に寄贈され、
平成13年から観光施設として利用されている。

温泉はもちろんのこと、面白いことにここでは御座敷文化大学が開れ、
「芸者いき粋体験学部」「お座敷芸遊学部」なるものがある。
一度受講してみたいものだ。

結婚披露宴で満腹になったお腹もそろそろ落ち着いた頃、
錬堂さん宅に向かう。
伊豆高原の別荘地にある「菓子の木」が
お店・工房兼ご自宅になっている。
別荘地内は入り組んでいて何度行ってもわかりそうにない。
心強いナビのお蔭でぴったりとその位置を当てた。


19時半を回り待ちくたびれた感があったが、
ご家族皆で迎え入れてくれた。早速、酒宴となった。

伊東漁港を抱えているせいか魚がうまい。
次から次に出てくる奥様の手料理も見事に素材の良さを引き立たせていた。


錬堂さんはフランス菓子職人だが、
最近は専ら温泉療法で名が知られている。
温泉に身を委せ浮かぶことでのリラクゼーションや、
腰痛、肩こり、膝痛を、
ツボを指圧で刺激しながらストレッチする方法で治癒してゆく。
多くの人がその効果に驚いている。
先にはドイツにまで呼ばれ、
そのことがドイツの新聞紙上にも掲載された。
今の姿から想像できないが、少年期まで虚弱体質でアレルギー、
将来に不安を抱えていたと言う。
その後、偶然入隊した海上自衛隊(潜水艦乗組員だった)で鍛えられ、
今日の基礎体力ができたとのこと。


一度、錬堂さんに温泉でのリラクゼーションをやっていただいたことがあったが、
あまりの心地良さに時の経つのを忘れ、まさに胎内回帰したような気分であった。
話は尽きなかったが、昼にたんまり飲んでいることもあって23時には休ませていただいた。

山の中にありながら眼下には伊東沖の海が見え、
海から吹く風で、7月というのに朝方は冷え込に目が覚めた。
今日は初島へクルージングだ。(つづく)
第1回浜名湖フォークジャンボリー
フォークジャンボリー


♪ 昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういう訳だ♪
そう井上陽水の「東へ西へ」だ。
 浜名湖にバンドの音が響いて流れ、浜名湖からは

湖上を渡る風が、会場に流れてきていた。

 昨年の今ごろ多くの人でにぎわっていた浜名湖花博。

その跡地が浜名湖ガーデンパークとなって生まれ変わり、

6月にオープンした。
そこの屋外ステージで「浜名湖フォークジャンボリー」が
7月17日9時から17時、丸一日開催された。

60年代グループサウンズ ワイルドワンズ、ジャガーズ、スパイダース
かつて「失神」なんて言葉が流行ったくらい盛り上がっていた。
その後、 70年代フォーク なじみのある曲が続く。 

当時の切なさが思い起される。

かつては髪を伸ばして、贔屓のバンドのメンバーを気取っていた

彼等も、今ではすっかり頭も白く薄くなり、その分腹は逞しくなった。

でも、昔とった杵柄は、まだまだ健在だ。

  第2回は10月9日9時から
  次回はビールも弁当も持参で、相撲で言う桟敷席に
  いるような気分で一日をすごしたい。




伊豆の旅(17.7/2,3)その2
結婚式を終えると同行の仲間7人中4人は帰路に着き、
残り3人で伊東に向かった。
今晩はパティシエ兼温泉セラピストの杉本錬堂さん宅にお世話になり、
翌朝は初島にクルージングと洒落込む予定だ。

その前に伊東市の街中散策をしようと、まずは西島彰さんを訪ねることにした。
氏は地域通貨「温銭」運営のキーパーソンだ。この「温銭」を手に入れるには「ささえ愛ネット」に入会、
その時に自分の「してあげられる事」と「してほしい事」を登録する。
個人は買い物してあげるとかパソコン教えてあげるとか、
お店は代金の一部を「温銭」で受け取るとかを登録し、
1200円の参加費を払うと3000温銭を手に入れることができる。



西島さんは美容院を経営され、自らも髪を結う。
土曜日の忙しい時間に訪ねてしまったが、
仕事の手を休め満面の笑みで迎えてくれた。
お話する時間は殆どなかったが、すぐに100温銭を渡してくれた。
これを手に街に繰り出すことにした。
そこにはお店も温泉のサービスも待っている。
商店街にはところどころに「お湯かけ七福神」と呼ばれる湯の出る場所があり、
魚屋の店先には名物の干物が並べられていて、
海を持つ伊東温泉地らしさを感じた。人通りもなかなか多い。



早速、和菓子屋に入ったところお茶もお菓子も出していただき、
そのもてなしとお菓子の味が気に入った仲間二人は、
名物の饅頭を手にして支払い代金の一部に「温銭」を使った。
ちょっと得した気分だ。

ただ伊東の住民ではないから「温銭」本来の「させていただく」という
善意の循環の一員になれないのが残念と言ったら、
市外の人もいるとのこと。さしずめ私なら
「舘山寺、寸又峡、伊豆そして湯布院他温泉宿紹介します。もちろんサービス付きでね」
「出張蕎麦打ちします」「住宅設計アドバイスします」
「まちづくりの勘所伝授します、人を紹介します」「NPOのお話も」かな。


 今年になってこの「温銭」は、
渋谷で使われている地域通貨アースデイマネーと互いに使い合えるようにした。
全国でもまだあまり例を見ない先進的な取組だ。


この後、昨年オープンした市民活動センターPalに寄った。
殆ど予算のない立ち上げだったとのことで、
喫茶店や商店で使われていた家具やラックが持ち込まれていた。
事務局長の都甲豊子さんのセンスもあってか、
いずれもなかなか温かみがあって心地よい空間となっている。
今日は17時にオープン、NPO法人設立相談と夜の会合に使う団体のためだそうだ。
(つづく)



※写真は伊東温泉の地域エコ通貨 100温銭

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ランドセルのころ~中谷健太郎さん~
村付き合いで礼儀をつくした「地域を豊かに生かす」のリード文の新聞の切抜きを目にした。
もう5年は経っている。
「小学校の通信簿には”学業優秀なれど積極性に欠ける”でした。」と話す中谷健太郎さん 
 うーん変われば変わるもんだ(私の独り言)



「農村にいながら農家でない。異人種のような感覚がありました」。湯布院町を全国の注目を集めるリゾート温泉地に導いた町づくりのリーダーで旅館経営者の中谷健太郎さんの小学校時代は戦争の最中。

当時農村の湯布院では、祖父の代から始めた旅館業は「道楽」とみられ肩身が狭かった。「弁当の中身はぎんしゃりだけ。死にかけた人が食べられるぜいたくな食事なんですが、農家じゃないからおかずがない。米しか食べるものがなかったんです。変な子に見られていたと思います。」

なんとか胸を張りたいと思い、級長になることを考えた。「級長は天皇陛下から繋がった立場でしたからね。二年生になって思いを遂げました。」一方で、礼を尽くす人への村社会の対応の誠実さを感じていたらしい。「戦地に赴いて不在だった父親代わりに村の付き合いを任されました。

葬儀で『おばあさんがよくなかったそうで』などとお悔やみの言い方でちゃんとものを言うと、おとぎのご飯が出て、小学生でも家の代表として村の構成員扱いをしてくれましたからね」

こうした村での“よそ者”体験が中谷さんの自由な発想の基盤をつくったようだ。もともとは映画監督になるつもりだった。しかし、父の死で、勤務先の東京の東宝映画撮影所から1962年に帰省。一時のつもりが、結局家業を継ぐことに。

「『変な子』だった小さい頃を知る人たちが生意気盛りの私を迎えてくれた。やっぱりあいつは違うという感じがあったからでしょうか」中谷さんはその仲間たちと高度成長期の真っ只中、あえてひなびた良さを打ち出して湯布院の売り出しに乗り出す。映画祭や音楽祭、さらに地元の風土や農産物を生かしたイベントを次々に展開、地域おこしのフロントランナーになっていく。

企画の中に小学生の体験が基になっているものがいくつかあるという。例えば「牛喰い絶叫大会」。「さんさんと日が照る中、村を取り巻く山の頂から“先生のバカタレー”ってよく言ってたんです。山びこが気持ちよく返ってくるんです。盆地ならではの遊びです」。生い立ちと地域の資源を豊かに生かしている人である。

※写真は健太郎さんご自宅
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伊豆の旅(17.7/2,3)その1
下田市に仲間一行7人で結婚式に出向いた。
下田市役所に勤める土屋君23歳の結婚式だ。
彼は大学時代、地域づくりの現場を学ぶインターンシップ生
として大須賀町(今は掛川市)と豊岡村(今磐田市)に来ていた。

それを縁に、大学のある千葉県から、そして就職後の下田市からも、遠路に関わらず、イベントの手伝いや、仲間で耕作している
「なんでもあり農園」の作業にちょくちょく顔を出してくれた。
身長190近い大きな身体で、フットワークよろしく突然姿を現す。
その彼から、突然メールで「結婚式に出てくれませんか」のお誘い・・・。

え!もう結婚するの?そして、私まで招待するのかぁ?と思た。
どうやら、遠州そば食文研に名を連ねる8名に招待があったようだ。
せっかくだからみんなで押しかけようと、話はすぐにまとまった。



海が一望できる伊豆急ホテルで結婚披露宴が始まった。我々も誘うぐらいだから
さぞ大勢だろうとは予想していたが、総勢140人程。 14テーブルにも及び、友人・同僚・親戚、それに隣組まで。 最近はあまり見かけなくなった

仲人もしっかりと両脇にいる。聞くところによれば、土屋君の家は200余年前に建てられたもので、土屋家本家にあたり、仲人は新家筋の人ということだった。

旧家の結婚式なのだ。

そうそう、私も32,34歳の時に仲人なるものをしたことがある。
もうすることはないだろうなと思うと貴重な体験をさせていただいた。
小池家と塩川家には大いに感謝しなければ・・・。


仲人、主賓の挨拶の後には乾杯の音頭だ。わがグループ代表の鈴木正士さんにその役が回ってきた。

「土屋君はいつもフットワーク良く現れ、地域づくりの助っ人として大いに助けられた。」

やや緊張した面持ちながらも、穏やかに優しい言葉で語り、なんともほのぼのとした気分になった。
仲人が「放浪癖」と評した土屋君のフットワークの軽さを、
「とんでもない。あのフットワークこそが人の縁を生み出し、彼の人生の宝になっているのだ」と反論したところがいかにも正士さんらしく、思わず拍手を送った。



次々と舞台で歌や余興が繰り広げられ、調子に乗った新郎土屋君はどうやらだいぶん酔いが回ったようだ。

締めの挨拶では、「酔っ払ってしまいました」と前置きしながら、これからの抱負や決意を語ってくれた。

まだ23歳、お楽しみはこれからだ。

会場を出ると見たことのある顔が・・・。
日本を代表するペーパークラフト作家の広井氏ではないか。
大須賀町で毎秋開催している「ちっちゃな文化展」に出展されている方で、東京を離れ下田に移住したと聞いていた。
同行の深谷孝さんが呼んだようだ。
土屋君の結婚式で回りの者がさらに結びついていく。ありがとう、土屋君。

下田に来た価値は大きい。
この後、私は伊東に向けて、「交流の旅」をスタートさせた。(つづく)

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フォークジャンボリーお勧め 昔の若者
友人からのメールです。
面白そうです。行きませんか?


中村です。
7/17(日)9:00~17:00旧花博会場で、
アマチュアグル-プ20バンドによる
私たちの仲間(親父バンド含む)によるライブがあります。
70~80年代の吉田拓郎・かぐや姫・井上陽水たちの曲を演奏します。
入場無料ですので、是非お出かけください。
私もいろんな面でサポートしています。
久さんネットで広報していただけると助かります。
宜しくお願いします。

http://www.pref.shizuoka.jp/hg-park/event/index.html

ご存じ?
鹿児島の友人から以下のメールです。
心当たりありますか?

> 話は変わりますが,「幕末,明治このかた二宮尊徳の教えを守り,現在,一戸当た
り一億を越す蓄財を持つ農村が静岡県にある。」という毎日新聞の記事を見かけまし
たが,何という町村ですか。御教示ください。その記事によると,新潟県の黒川村に
匹敵するとのこと。よろしくお願いいたします。
>
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